カルアミルクの流儀

カルアミルクをわかりやすくする日記

自己啓発本やエッセイから学ぶこと

 

僕は自己啓発本やエッセイ本を読むのが好きです。

「作者はどういう視点・考えで社会や物事を見ているのか」ということを知れるからです。

特に成功者と言われている人や、違った時代を生きた方のものは

参考になることが多く、28年も生きて凝り固まってしまった思考回路を

ほぐすきっかけになったりもします。

 

例えば最近、ネットで知り合った男性に女性が殺される事件、

たまにあるじゃないですか。

そういったニュースを見て、かつて自分が思うこととしては、

「悲しい事件だなあ。何で殺されるような目に合うんやろなあ。

 この事件では殺されてニュースになったけど、世の中には殺されるまではいかなくとも、暴力や性的被害にあった人も多いんだろうなあ。かわいそうに」

 

なんてことを思うわけですが、それと同時に、

「それにしても男を見る目がなさすぎやせんか。99%は殺した側が悪いけど、
 1%は得体のしれない男にノコノコついていった、自分の責任でもあるよなあ」

なんてことを思っていました。

 

でも最近、酒井順子さんのエッセイを読んで、この考え方は変わりました。

そのエッセイのタイトルは、

「女子高生たちよ。ネットで男に会うのは少し待ちなさい」

みたいな感じでした。

「私が女子高生のころは、バブル時代だったので、ディスコなんかで仲間と日夜遊びほうけていた。当然、男たちにに声をかけられることもあったけど、その男たちが危険な存在か否か、仲間内で相談することができた。なのでひどい目にあうことはなかった。でも今はネットで声をかけられる時代。一対一になってしまうので、仲間内で相談ができない。相手を見誤る可能性が昔よりはるかに高い。ネットで出会うのは、男を判断できるレベルになってからにしよう」

といったことが書かれていました。

 

それを見て、私はハッとしたところがありました。

バブルの時代でも現代でも、女子高生の思うことなんて変わってないんだ。

当然「モテたい、背伸びしたい」という欲求はあるのでしょう。

でも時代が変わってしまい、危険な目にあうリスクが高まってしまった、

いわば時代の犠牲者でもあるんだ。

 

そう考えてみると、1%は自己責任なんて思えなくなり、

0.01%の自己責任に変わりました。

 

このようなことに気づかされることがあるので、本は大事なんですね。

 

 

たまーに全く同意できない話もあったりしますが、それはそれでいいのだ。

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